http://www.aiueoffice.com/pdf/20090114_kenhonda.pdf
>今の形の資本主義がいったん崩壊した後、相当の混乱はあるでしょう。早くて今年、遅くとも、この数年にそれが起きる可能性があると思います。
>仕事だけやってきた人は、特に、戦前、戦争をやり遂げることしか考えていなかった人が感じたかも知れない虚脱感、絶望感、無力感を感じるかも知れません。
今までやってきたことは、何だったんだろう?という無力感から、病気になったりする人もでてくるでしょう。
この2つの部分が一番気に留まった。
初めの資本主義崩壊は今年かその後かについては、
他のアセンション関係の人たちは、まず2009年に経済と言うコメントが複数あったことから、それは今年になるのではないかと思う。
年明けから今日までのこの妙な平穏なの日々がこれまた何かこの後の前触れのような気がしてならない。
二つ目の仕事だけやってきた人、
これはここ数年の私の考えてきたことに絡む。
そう期待するし、そうであるべきだと思う。
今の社会の状態、労働者はお金という精神的鎖につながれた奴隷である。
仕事の持つ本来の崇高な面がまったく覆いかぶさられてしまっている。
戦後と同時に起きたことをこれに当てはめると、お金を求めて仕事を求めることが無意味になるということか。又はその行為がタブー視されるということか。
しかし、資本主義以前から人類は行動の動機は経済に突き動かされてきた。それは資本主義の前からあったこと。そことどのように折り合いを付けるということなのか?
レポートは次に続くようなので、またそれを待ちたい。
2009/01/16
2009/01/15
2009/01/10
勝者の代償 The Future of Success
今の日本社会みんなが読むべき本だと思う。
・仕事中心の生活、そうしなければ家賃が払えない。食卓に並ぶものが買えない。
・しぼんでしまうもの-家族との時間、自分と向き合う時間、友人との交流
・キャリア構築のため、他は犠牲になる生活
・IT,テクノロジーで進歩が加速度、労働者は更に忙しい労働へ
・社会は豊かになったのに、個人は低賃金へ。なのに労働時間は長くなり、人間として<豊か>な生活からかけ離れていく。
と、日本社会でも同じ状況。
こんな社会でいいのだろうか?
と思ったのは私だけでなくこの著者もだった。なので、すごく共感。
米国労働長官だった・・・というのがミソである。
本人も言っているが、個人的行動が波紋を広げた。
<個人的行動>というのは、
息子に夜、家に帰っているのか確認するため、帰宅時に起こしてくれと頼まれたことで「気づき」、労働長官を「辞めた」こと。
私も今の社会に飲みこまれることを避け、一歩冷静に世の中を見てみようと思って辞めたので、彼と同様な行動だった。
うれしいことに、彼はこうやって、「社会」、「企業」、「雇用という20世紀に一時的に主流となった働き方」や「家族の形の変化」についてこうやって本にしてくれた。
まだ序章しか読んでないが、既に興奮。
・仕事中心の生活、そうしなければ家賃が払えない。食卓に並ぶものが買えない。
・しぼんでしまうもの-家族との時間、自分と向き合う時間、友人との交流
・キャリア構築のため、他は犠牲になる生活
・IT,テクノロジーで進歩が加速度、労働者は更に忙しい労働へ
・社会は豊かになったのに、個人は低賃金へ。なのに労働時間は長くなり、人間として<豊か>な生活からかけ離れていく。
と、日本社会でも同じ状況。
こんな社会でいいのだろうか?
と思ったのは私だけでなくこの著者もだった。なので、すごく共感。
米国労働長官だった・・・というのがミソである。
本人も言っているが、個人的行動が波紋を広げた。
<個人的行動>というのは、
息子に夜、家に帰っているのか確認するため、帰宅時に起こしてくれと頼まれたことで「気づき」、労働長官を「辞めた」こと。
私も今の社会に飲みこまれることを避け、一歩冷静に世の中を見てみようと思って辞めたので、彼と同様な行動だった。
うれしいことに、彼はこうやって、「社会」、「企業」、「雇用という20世紀に一時的に主流となった働き方」や「家族の形の変化」についてこうやって本にしてくれた。
まだ序章しか読んでないが、既に興奮。
登録:
投稿 (Atom)