2009/06/25

対価を受け取る価値

久しぶりにこのブログの元になった神との対話の本のシリーズを読んだ。

「神との友情 上」



今まで2,3度 読もうと思えば読む機会はあったが、なぜか今までは、「ま、あとでいいか」と後回しにしてきた。

一つ前に読んだ「お金を引き寄せる最高の法則」にも共通して書いてあったことで、且つ、身にしみたことが書いてあった。

対価を支払ってもらうことについて。

「自分で自分の価値を認めていないのに他人に認めてもらおうとどうしてできるのか?」

言い換えれば、

「自分のサービスの報酬を受け取るには、まず、自分でその対価が自分にふさわしいものだと心底認められなければならない」
ということ。

これも必然の”偶然”-シンクロにシティかも。。。

今まで「お金を対価として請求する」ということについて心に「申し訳ないという抵抗」と、「本来は請求すべきもの」という葛藤があった。
そして、受け取ることに対する罪悪感のようなものがず~っと優勢だった。

でも、今、お金を引き寄せる最高の法則でやった始めのエクササイズの効果か、とても腑に落ちるのだ。

お金を支払ってもらうことが相手のためにもなるような感触が自分の気持ちに存在する。

自分もその能力のために時間も、もっと多額のお金も支払ってきたわけであるし、

相手も承諾の上なら、そのことによって相手に満足感があるはずで、

エクササイズで自分が支払うことに罪悪感を感じなくなれたことが、他人に支払ってもらうことにも同じ考え方の変化が生まれたのだろうか。
それも潜在意識に変化が怒ったのだろうか?
たくさんその手の本を読んでも数日後に考え方が変わる影響って、そうたくさんは無かった。
しかも、一つの気づきが、他の感覚にも影響するなんて!
ドミノの初めが倒れたっていうことなのかな。

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